No.4 リビア勤務時代のエピソード

 No.2にてリビアに赴任した時のお話をしましたが、今回は1年強の駐在期間中にあったお話を致します。
 赴任していた頃(約30年前)はカダフィ大佐の独裁政権の絶頂期で、外国人でもカダフィに対する悪口などを言ったりすると、市民に紛れ込んだ秘密警察に拘束されたりする恐れがあると、言われていました。従い、会社事務所には必ずカダフィの写真を飾ったりして忠誠心を装うことが、どこの事務所でも普通に行われていました。
 非常に娯楽の少ない国で、公共の場ではお酒も禁じられていました。(ブラックマーケットもあったのですが、非常に高価でした。)しかし、自宅内で飲むのであれば許されていた(ここが面白いところ)ので、我々日本人は現地で買ったぶどうジュースに、日本から持ち込んだイースト菌を入れて発酵させ、ワインにして飲んだりしていました。(あまり欲張って最後の一滴まで飲んだりすると、イースト菌のカスに当たっておなかを壊したりした。)
 当時日本人駐在者には、リビア入国時に持ち込んではならないものとして3つのものが言われていました。酒、豚肉、ポルノ(写真等)です。
 ある日、駐在員の宿舎で、その日日本から来訪する出張者を待っていたところ、予定時間を過ぎても出張者が着きません。数時間過ぎてこれはおかしい、と方々調べたところ、警察の留置所に拘束されている由。
 後で聞いたところ、リビア入国時に持ち込んだお酒が、通関では見つからず通ったのだが、空港から宿舎に来る途中の道路で、気になって車を停めた。その停めた場所が悪かったのだが、何と軍関係施設の前で検問を受けて、見つかってしまい、酒は没収の上、拘束されたとのこと。幸い、日本人の場合は「現地事情を知らなかった」ということで罪は問われなかったが、スーダン人の会社雇いの運転手が教えなかったのが悪い、ということになって、むちうち百回の刑に処せられた由。
 それから、出国の時に厳しくチェックを受けるのが外貨でした。
 当時、経済制裁を受けていたリビアは外為規制が非常に厳しく、空港で外貨の持ち出しを厳重にチェックしていました。私は1年強の駐在期間を終えて、これでやっと日本に帰れるという時、私の帰国予定の2週間程度前だったのですが、ある日本人商社マンが車の売却代金(数万米国ドル)を無申告で持ち出そうとして通関で発覚し逮捕されるという事件が起こりました。(この方は結局数か月間、リビア国内の留置所で拘束を受け、その後釈放され日本で留置所内の経験を雑誌に掲載されていました。)
 私は、その事件のことも聞いてはいたのですが、まさか自分が巻き添えを食うことになるなどとは思ってもいませんでした。帰国の日、喜び勇んで空港のパスポートコントロールで列を作って待っていると、係官が「そこのヤパーニ、ちょっとこちらに。」と小部屋に連れていかれました。
 そして、「服を脱げ」と言うんですね。上着だけでなく、ズボンも脱ぎ、靴も脱ぎ、パンツの上から「前」を握られました。中東ではホモが多いとよく聞きはしますが、この時は係官は職務を忠実に実行するために、「ふくらみ」のある場所に札束がないかチェックしたのだと思います。そして、更に靴(その時はリーガルの厚底の靴だった)の底をナイフでべりっとはがされました。
 この時は初めてだったので、何がなんだか訳がわからないうちに終わったのですが、2年くらい後に、出張で行った帰りにも同じ係官に呼び止められ、「またか」という思いでした。2度目はパンツも脱がされるという屈辱でした。非常に腹立たしい思いで、相手の係官をなぐりたい衝動にかられましたが、抵抗して射殺されたトルコ人もいるという話を聞いていたので、ぐっとそこはこらえました。
 後々、かなりの数の日本人が同様のチェックを受けたという話を聞きましたが、2度もやられたのは私だけだったようです。(続く)

画像はウィキペディアから。

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