No.48 坂本龍馬展を見て

 既に1週間ほど前に終了したが、先日、江戸東京博物館(両国)の坂本龍馬没後150年特別展を見てきた。


 坂本龍馬と言えば、日本の歴史上の好きな人物のトップに挙げる人が多いであろう。幕末・明治維新には数多くの志士が活躍したし、戦国時代やその他の時代でも数多くの武将なり偉人が存在した。

 

 しかし、坂本龍馬の名が、なぜそこまで日本人の心に刻み込まれているのか。この展示会では、それがよくわかった。


 勿論、薩長同盟成立や大政奉還の立役者としての功績が大きいのは誰しもが知っている。だが、それ以上に、龍馬が日本人の心を捉えるのは、その自由奔放な人となりのためであろう。そして、それを汲み取れるのが、彼が兄姉、友人・知人らに送った多くの手紙のユニークなところによる。


 例えば、姉の乙女にあてた手紙でこういったものがある。当時、手紙は勿論毛筆による手書きで巻物風の紙に書いていくわけだが、龍馬はあるところまで書いたところで、休憩を取り、今度は話の内容が変わるので紙を裏返しにして書き、その話が終わるとまた元に戻って書くという方法を取っている。
 今ならパソコンでそういう書き方も普通にできるが、当時としては誰も思いもしなかったであろう。
 また、150年経った今でも、龍馬の書いた直筆の手紙の原本が新たに見つかったりしており(6月16日朝日新聞掲載:兄権平宛の手紙6枚新たに見つかる)、まだまだ我々の知らない龍馬像がわかることもあるかもしれない。

No.47 ペットが繋ぐ友達の輪

 No.14で「ペットと住む」というタイトルで我家のワンちゃんのことを書いた。ミニチュアダックスフントの女の子で、今月で9歳になる。今回も、いささか親バカというか、飼い主バカの話ではあるが、最後まで読んで頂けると有難い。
うちのナナ(我家に来た月が7月だったので)は内気でおとなしいが、他人からじっと見つめられたりすると警戒心から吠えることがある。人見知りなので、初めての人だと、なかなか懐くまでに時間がかかる。犬を飼っている人でも、初めての人だと、やはり警戒してしまう。
 しかし、最近、珍しいことがあった。ナナと散歩中、前方から自転車に乗ってサングラスをかけた70歳くらいの男の人が、ナナを見ながら近寄ってきた。ムムッ!怪しい。これはナナがきっと吠えるなと思った。ところがどうだ、男の人が「かわいいねぇ」と言った途端にナナの方から男の人の足元にすり寄って行ったのだ。男の人もやはり犬を飼っていると言っていたが、不思議なこともあるものだ。
 また、別に日には、やはりナナとの散歩中に、今度は70歳くらいの女の人(やはり自転車に乗っていた)が、「かわいいわねぇ」と言ってきたら、ナナの方からすり寄って行った。「私のところはチワワを2頭飼っているんだけど、1頭が去年末に病気で昏睡状態になって、幸い命は助かったけど、ずっと入院しているのよ。」などと話し出した。それから、もう1頭の方も仲がいいのか体調を崩した、ペット保険に入っているが、もう入院費が45万もかかっている、などと10分くらい立ち話をしただろうか。さすがにこちらも話を聞いているのに疲れて、その場を失礼したが、犬を飼っていると自然と友達の輪が広がっていくということがあるものだ。
 同じマンション内でも、ワンちゃんつながりでできたお友達が何人もいる。話をするときも「~ちゃんのお父さん、お母さん」とまるで人間の子供と同じだ。犬の方も相手を覚えてくれると、飼い主以上に甘えたりすることがある。
 近所に15歳になる秋田犬(ケンちゃん)がいるが、最近はもう足腰が弱って、歩くのはおろか立つこともままならない状態になっている。それでも飼い主の80歳くらいの女性が、少しでも犬の気晴らしにと外に連れて出ていることがある。私も声をかけて、大事にしてあげてくださいとお話しした。
 年を取ってから犬を飼うと、どちらが先に死んでしまうか、という問題が起きるが、やはり飼い主としての責任は果たしたい。広島県神石高原町では犬の殺処分0の活動「ピースウィンズジャパンプロジェクト」を推進しており、私も寄付を行った。できれば参考にして頂きたい。
 

0 コメント

No.46 親族大集合

 先日は我家に親族が大集合し、楽しいひと時を過ごした。
 妻の姉二人の各夫婦が、一組(Aさんと呼ぶ)は四国・香川から、一組(Bさんと呼ぶ)は相模原から来て、我家に1泊したのだ。当初は香川のAさん夫婦が横浜にある土地・家の問題で上京し、私が微力ながらお手伝いをするということで、我が家に泊まる予定で、相模原のBさん夫婦も久し振りに一緒に会おうということになったものだ。
 Aさんの土地・家の問題の根幹は、市街化調整区域内に特例で30年前に建てていた家・土地を処分したいが、どうすればよいかという話だ。Aさんに同行して、不動産関係のコンサルタントなどを回った。相談相手の立場によって、だいぶ言い方が違うものの、地目の変更許可を取得する必要があるという点では一致。状況説明が実態に合っていると思われ、より親身になって相談に乗ってくれそうなコンサルに手続きを委託することで決まった。
 不動産関係の手続きは非常に面倒なことが多いが、市街化調整区域の場合の難しさというものを実際のケースで体験することとなり、私にとっても勉強になった。Aさんは、私が同行したことで、非常に心強かったと感謝して頂いたが、喜んでもらって何よりだ。これから何度か上京して手続きを行う必要が出てくるだろうが、微力ながらサポートしていこうと思う。
 Bさんのほうは、ブログNo.23で書いたが、昨年春に大病(大動脈解離)で大手術を受けて、今はリハビリ中という状況だ。手術直後は体重が40キロそこそこ(身長は178cm)まで落ち込み心配したが、今は52キロまで戻り、顔色も良くなって、まずは安心した。
 全員が一堂にそろったのは何年ぶりだろう。昨年の息子の結婚式もBさんが入院していた時期だったし、5年くらい前のBさんの息子の結婚式以来だろうか。また、結婚式ではあまり落ち着いて話ができないが、自宅なのでゆっくりとよもやま話ができる。やはり子供達の話や、健康面の話が多くなる。
 夜は、私の妻が用意した手料理を食べ、カラオケを歌いながらの大宴会となった。用意していた酒(ビール、ワイン、日本酒)も全て空けてしまうほど、皆気持ちよく楽しく過ごしていただいた。Bさんは大病後であったし、Aさんも70歳という年齢でもあるので、酒は手酌のマイペースでやっていただいたが、二人とも結構飲んでいたのには驚いた。
 夜遅くなって、娘が仕事から帰ってきた。みんなから歓迎の嵐を受け、仲間入り。最近付き合い始めた彼氏の話をして、羨望と期待を集めてしまった。今年中くらいには良い報告ができるかな?

0 コメント

No.45 防災対策について

(前週は体調不良にてブログをお休みしました。)
 4月16日は熊本地震の本震からちょうど1年目に当たる。1年前の当日は気仙沼バルの開催日で、早朝家を出る時にニュースで知り、バルの最中も気になっていたのでよく覚えている。震源地が私が高校生の頃まで住んでいた松橋町(現宇城市)に近かったこともあり、他人事とは思えなかった。1年経った今でも熊本城の悲惨な姿などを見ると心が痛む。
 被災地の復興がままならないのは東日本大震災でも同じことが言える。6年経った今、仮設の住居・店舗からの退居を余儀なくされても、新しい住居・店舗が見つからずに、困っている方々が多いと聞く。一方で、復興予算が余っていたり、本当に困っている人に行き渡っていないような状況もあるようだ。何とかならないものか。
 地震国日本では、いつどこで大地震が起きてもおかしくないと言われるが、やはり日頃から備えを怠らないことが肝要だ。私は今のマンションに住んでちょうど10年になるが、入居して4年目(今から7年前)のマンション総会で防災対策についての問題提起を行った。避難訓練の充実や管理組合共有の防災対策品の整備などが提起の趣旨であった。その翌年に東日本大震災が起き、私が管理組合の防災担当の理事になった。マンション理事は輪番制で60年に1回しか回ってこないので、めぐり合わせというものだろうか。問題提起事項に加え、理事メンバーでの役割分担の明確化なども含め、防災対策の強化を2年間にわたって実施し、今でも引き継がれているようだ。マンションの場合は、ある意味で運命共同体でもあるので、非常時は共同で助け合うという意識が必要だ。下記の目黒区の事例などはよくまとまっているので、参考にされたい。(目黒区の事例「マンション防災マニュアルの手引き」)
 東日本大震災では、首都圏は震度5強の揺れを観測し、鉄道をはじめ多くの交通網がマヒし、数百万の人が帰宅難民になった。私も当時勤めていた会社の事業部でBCP(事業継続計画)の緊急時の責任者代理を務めていたので、責任者不在時の対応なども含め会社に泊まり込んだ。会社でもマンションでも、幸いなことにそれほど大きな被害はなかったが、防災についての意識を改める機会になった。
 防災対策は、基本的には大規模災害として地震や火事を想定した対策となっているが、その他のリスクについても応用が利く。ここのところ、北朝鮮問題で一触即発の状態となっているが、万一の場合に備え、家族や親しい知人間で緊急連絡方法の再確認などをしておいたほうがよいだろう。私も災害用伝言ダイヤルなどを家族で情報共有した。

0 コメント

No.44 河川敷の鳥たち

 朝、荒川土手を歩いていると、河川敷に色んな鳥が集まってきている。四季折々で見かける鳥の種類も違うが、それらの鳥の様子を見るのも歩く楽しみになっている。
 河川敷で年間を通じて一番特徴的でよく見かけるのはムクドリ(椋鳥)だ。全長20㎝くらいで、ややずんぐりむっくりした体に、黄色いくちばしと足が目に付く。数十羽から多いときは数千羽の群れをつくることがある。夕刻になると街路樹などを寝場所にして群れが集まってくることがあるので、鳴き声とフン害で迷惑を被ることがある。しかし、昼間河川敷で見かける時は、1~2mの近さまで近寄っても逃げないで、結構人慣れしている。土手や河川敷のミミズや虫などを捕食しているようだ。丸っこい体がなんとも愛らしい。
 この時期によく見かける鳥で言うと、ヒバリだろうか。全長は17㎝くらい。頭に冠のような羽が立っている。ムクドリと同じように、草むらなどでよく見るが、ムクドリほど多くの群れはつくらない。上空を飛んでいるときなどに、ピーチュルピーチュルといった鳴き声をするのが特徴だ。まるで歌でも歌っているようで、聞いていて心地よい。「ピーチクパーチク、ヒバリの子」などと言われる所以だ。
 美しさの点では、ハクセキレイが私の一押しだ。全長は20㎝くらい。ツバメのようにスマートで白と黒のツートンカラーだ。あまり群れずに1~2羽でいることが多い。道路や駐車場など、人の目の前に飛んできて、長い尻尾をピクッピクッと振って歩くさまは、まるでダンスを踊っているようで、人に見せたがっているかのようだ。さしずめ鳥の貴婦人という感じだ。
 ちょっと変わったところでは、カワウなど。全長は70~80cm程度。全身黒で首が長い。長良川の鵜飼いで有名な鳥だ。季節的にはどちらかというと冬鳥だ。数羽程度の群れをつくっていることが多い。荒川や芝川の川面に浮かんで、時々水中に潜って魚を捕食している。一度潜ると数秒から10秒程度水中にいる。浮かんでくる場所を推測するのも一興だ。
 色んな鳥たちがいるものだが、人間の生活によって鳥の生態も変化してきているようだ。カラスなどはその最たるもの。人間が出すゴミを漁って、中のものを食べたり、巣作りの材料にしたりする。クリーニングの針金などはよく巣の材料にされるらしく、電線の上に巣をつくった時などは、ショートして停電になることもあるそうだ。
 スズメは極めて普遍的な鳥の代表格だが、50年位前に比べたら少なくなってきているように感じる。昔の大人は、よく捕まえて焼き鳥にして食べたりしていたが、今はそんなことをする人はいないだろう。それでも、昔ほどスズメの大群を見かけなくなったのは、カラスなどの環境変化に対応して数を増やしている鳥に比べ、環境変化に適応しきれていないのだろうか。

続きを読む 0 コメント