No.5 ダッカのテロ事件に思う

 7月1日にバングラデシュで起こった惨劇に心が痛みます。
 亡くなられた方々のご冥福と負傷された方々の一刻も早い回復をお祈り申し上げます。
 今回の事件もISによる犯行と伝えられていますが、世界各地で何の罪もない人々を巻き込んだテロ行為が繰り返されるのは許しがたいことです。
 また一方で、カダフィ亡き後に内戦状態となっているリビアが新たなISの拠点化しつつあることは、一時期を同国で過ごした身にとって残念でなりません。しかし、リビアとテロ組織との関係ということでは、私が現地にいた頃からありました。
 今では解体されてなくなりましたが、日本赤軍とリビアとは深い関係があったのです。当時のカダフィは欧米諸国に敵対し、世界中でのテロ活動を画策し、日本赤軍に資金援助していたのです。日本赤軍の犯行によるハイジャック事件として、1973年7月のドバイ日航機ハイジャック事件、1977年9月のダッカ日航機ハイジャック事件、などがあります。ドバイ事件では、ハイジャック機は最終的にリビアのベンガジ空港に着陸し、乗客乗員を解放後に機体が爆破されました。(日本赤軍の実行犯はリビア政府が逃走させた。)私が駐在時にベンガジに出張に行った時(1984年頃)にも空港滑走路脇にまだその機体の残骸が生々しく残っていました。
 また、当時は日本赤軍メンバーはリビアでは英雄視されていて、一部のメンバーが国内に潜伏していたとされています。そして、ハイジャックをはじめとするテロ活動のノウハウとでもいうべきものを情報交換していたと考えられます。
 その後、1988年12月に発生したパンアメリカン航空103便爆破事件はリビア政府が関与したテロ事件として、のちに世界中から経済制裁を受ける発端になりました。
また、リビアは当時から北朝鮮とも親密な交流があったとされています。米国が当時言っていた「悪の枢軸3国」リビア、イラン、北朝鮮はテロ活動組織の温床だったのです。(イランは近年核協議で欧米諸国と合意し、経済制裁が解除されつつある。)
 なので、当時リビアから日本に国際電話を掛ける時は、オペレーター経由で繋いでもらうのですが、電話の声が遠くに聞こえたり、ノイズが多かったりしていました。これは盗聴されていたためです。日本語がわかる北朝鮮の工作員が相当数いるとの噂を耳にしていました。ある時、私が仕事で日本の会社の上司と電話していて、現地情勢は大丈夫かという確認の主旨(ちょうどその時は米軍機によるカダフィ宿舎爆撃事件の直後だった)で上司が思わず「ミサイル」という単語を口にした途端に電話が切れたことがありました。(続く)