No.10  中国勤務時代のエピソード①

 今回は、中国勤務時代(1998年~2002年)のエピソードをお話しします。
 私が勤務していたのは某大手ITメーカーで、20代から30代は経理要員として、日本国内の関係会社含め、それぞれの事業部門の支援スタッフとして、予算管理・財務管理、人事総務などの業務を担当していました。40歳を少し過ぎた頃、その時はソフトウェア開発の関係会社に出向して3年弱が過ぎて、そろそろまた転勤の時期を迎えていました。
 その時に、会社側から異動を命じられるのでなく、自ら手を挙げて勤務先を選択したい、そして更に、もう一度海外勤務をしてみたい、と思ったのです。
 また、リビアの時は、現地の生活環境等を考えて、単身赴任したのですが、子供の年齢・教育等を考えると、家族帯同で行くには今しかない、との思いもありました。
 当時の経理部門のボスに直接相談に行き、海外勤務希望の旨を伝えました。今でこそ、社内人材登用制度など、新規事業部門等で必要とする人材を社内公募するような制度は珍しくありませんが、当時はまだかかる制度がなかった時でした。
 その当時の海外関係会社で経理要員が不在の場所を探してみたところでは、恐らくは中国になるだろうとの予想通りで、北京のできたばかりのSI会社に決まりました。所属部門の出向先社長には全く内緒だったので、大変ご迷惑をかけてしまったわけですが、後にその方が私の在任中に北京を訪問されて、労をねぎらって頂いたのには大変感謝致しました。
北京への出向が決まったのが98年3月で、4月に赴任準備通知発令、3か月間の研修等を受講し、現地側からの矢のような催促もあり、7月に赴任しました。しかし、赴任早々、大きな試練が私を待ち構えていたのです。
(次号に続く)