No.37 リビア勤務時代のエピソード6

 私がリビアに駐在したのは1983年11月から1985年2月までの1年3カ月くらいでしたが、日本帰国後も中近東地域のプロジェクトの後方支援で担当していましたので、その後6年間で3回ほど現地出張しました。最後の出張は、現地駐在員事務所を閉鎖するための書類整理や事務手続きなどの支援でした。その頃は、中近東産油国の通信基幹網の整備も一巡して、ビジネスが縮小したためです。
 駐在員事務所には、首席駐在員とアドミ担当で経理業務も兼務していた要員との二人だけでした。私が駐在していた時は、税務局が駐在員のパスポートをグリップしていた(外国企業が最終申告・納税を逃れて出国するのを防止するため)のですが、その頃はすでに申告納税も完了し、パスポートも奪還していました。(このリビア国税局とのやりとりについては、No.15に記載)従い、駐在員事務所を閉鎖して駐在員も自由に出国ができるようになっていました。
 私が整理するのは、主に経理関係の書類(各種帳簿類や税務申告・納税書類、など)や金庫、オフコン(当時はまだ「オフィスコンピュータ」と言っていました。)などです。物理的な事務所としては一旦閉鎖するのですが、またいつか再開する可能性や、過去の事案の調査などで必要とされる可能性もあったため、某商社の事務所に最低限必要なものを預けることにして、あとの不要なものは廃棄することにしました。
 オフコンもバックアップ用で2セット持っていたのですが、1セットを商社に預けて、もう1セットは廃棄しようということになりました。日本では、ちゃんとした廃棄業者があるのですが、リビアではそういうわけにはいきません。いろいろ調べたのですが、結局自分たちでゴミ廃棄場に持って行って焼却するしかない、という話になりました。
 ゴミ廃棄場には誰でも入れて、日本で言う粗大ごみなどを廃棄していました。我々もオフコンその他のごみを持ち込みました。ただ、機密文書やオフコンは、そのまま置いていくのもまずいので、焼却したほうがいい、というので火をつけたわけです。恐らく、これがまずかった!何と廃棄場の片隅からブルドーザーが突然出てきて、我々の方に向かって突進してきたのです。運転手が何かを叫んでいましたが、よくわかりません。ひき殺されるのではないかという恐怖心で、這う這うの体で逃げ帰りました。多分、勝手に火をつけたのが悪かったのでしょう。