No.39 姉の追憶

 No.28で「母の追憶」、No.34で「父の追憶」を書いたが、今回は亡姉のことを書き留めようと思う。
 姉は3人姉弟の一番上、私より4歳上だった。3つ上の兄と私が男兄弟で遊び相手になっていたのに対し、姉は遊び相手がいなくて、子供の時は孤独ではなかったろうか。しかし、勉強はすこぶるできたようだ。小中学校ではオール5だったようだ。私が小学校2年の時に1カ月ほど不登校になったことがあったが、姉は「そのままだと留年するよ」と言って、私を再び学校に行かせた。もし、その時の姉の言葉がなかったら、もしかしたら私は引きこもり児童になっていたかもしれない。
 その姉が亡くなって、今年で4年目になる。父が8年前に亡くなってから、姉はずっと病院に入院していた。統合失調症という精神障害である。統合失調症の発生原因は、色々あってはっきりとしたことは言えないようだが、姉の場合は医者から言われたのは前頭葉の一部が石灰化していることによるもの、ということであった。CTスキャンの画像を見せられたが、白い陰りが見られた。それ自体がなぜできたのかは不明だ。しかし、症状の進行を緩和させることはできても、快復することはない、と言われた。発症したのは姉が20代の頃だ。具体的なことは説明しかねるが、他人とのコミュニケーションがうまくできないのがこの病気の特徴だ。
 父と姉が二人で生活していた期間も、父が認知症の症状が出てきて、姉も障害があったので、心配をしたものだ。九州と首都圏という遠距離だったので、何かあってもなかなか対応ができなかった。介護マネージャーの方々にも随分とお世話になった。父が養老施設に入所し、姉も同時に入院したのだが、二人だけで生活していた時から比べて、ある意味安心したものだ。
 父が亡くなった後、父の名義だった家・土地は、姉の名義にした。姉の病気は快復の見込はないといわれたものの、姉が元気になった時のために、残すことにしたのだ。そして、障害を持つ姉のために、私が姉の成年後見人になって、資産管理を行うこととした。姉とは、よく電話で近況報告がてら話をした。季節によって、着る服や色々な小物、本などが欲しいと言ってきては、見繕って送った。また、年に1回程度は帰郷して、病院に見舞った。ここでは、私の妻がよく対応してくれて、姉も感謝してくれた。
 姉は障害はあったものの、内臓は丈夫で長生きするものと思っていた。しかし、4年前の6月に突然、病院側から姉が亡くなったと電話連絡があった。あまりに突然のことだったので、訳が分からなかった。急遽飛行機で帰郷し、姉の顔を見るまで信じられなかったが、病院で食事中に、食べ物をのどに詰まらせての窒息死であった。統合失調症の症状緩和のために飲んでいた薬が、咀嚼機能に多少影響するものだったようだ。ある程度高齢の患者では注意するらしいが、姉の場合は突然で病院側も対応できなかったようだ。父や母の場合は、ある程度事前の覚悟があったが、姉の場合は突然だったし、一生成年後見人としても面倒を見るつもりでいたので、亡くなって暫くの間は喪失感に苛まされた。
 残った家・土地も暫く手を付けなかったが、ご近所の方々への迷惑もあって、その後処分したが、複雑な想いがしたものだ。今、大分には父、母、姉が眠る墓だけが残っているが、ゆくゆくはどうするか兄と決めなければならない。