No.42 歩け、歩け!

 私は今、ほぼ毎日、早朝ウォーキングを1時間ほどかけてやっている。荒川河川敷沿いに富士山やスカイツリー、様々な鳥などを眺めながら歩いている。会社勤務時代も結構歩いたり、階段を昇ったりしていた。その原点ともいえるのが、学生時代の徒歩旅行だと思う。当時確か大学3年生の夏休み、ちょうど20歳の時だったと思う。大分の大学キャンパスから熊本の実家までの約260㎞を9日間かけて歩いて帰ったのだ。
 初日、大学のキャンパスで演劇部(大学時代の部活)の同僚達から見送られスタートする。寝袋や雨具など10キロほどの重さのザックを背負って歩き出す。7月の半ばだったが、九州の夏はやはり暑く、容赦なく太陽が肌を焼き付けてくる。道路からの照り返しもきつい。まずは、国道10号線沿いを北上する。1泊目は別府の同期生の家に泊まった。初日だし、まだあまり疲れもなく、これからの長旅の成功を祈ってもらった。
 2日目。道行くトラックの運転手などから声をかけられる。歩いて旅行していると聞くと、頑張れよ!と応援を頂く。その日は国東半島の付け根の山香町あたりで野宿。とにかく雨風さえしのげればということで、廃屋となった小屋を見つけて泊まった。ちょっと怖い感じもするが、冒険心もそそられる。
 3日目。さらに北上し、豊後高田まで。ここも別の同期生の実家があって泊めてもらった。そろそろ疲れが出てきた頃で、風呂に入れたのは有り難かった。ついでに宇佐神宮にも参拝し旅行の安全祈願。
 4日目。中津から内陸の日田方面に入る。耶馬渓、青の洞門付近で野宿する。寝袋にくるまって寝るが、足の裏にまめができて痛い。
 5日目。山道でもあり結構足に疲れが出始めた。背中のザックも肩に食い込んでくる。暑さで頭が朦朧とする。軽い熱中症か。ガソリンスタンドで休憩させてもらった。学生の一人徒歩旅行ということで、スタンドの方からも色々話を聞かれ、ひと時の安らぎを得る。この日、全行程の中で最長の1日42キロを歩き、日田に入る。日田では、夏休み期間中で無人の学校の体育館に入り、宿泊する。(本当はまずいはずだが、鍵もかかっておらず不用心ではあった。学校関係者の方、ごめんなさい。)
 6日目。久大線沿いに久留米方面へ向かう。さすがに足取りが重くなってきた。JR(当時は国鉄)田主丸駅で、駅構内のベンチで休憩し、そのまま寝袋にくるまって寝てしまう。駅員さんが、一度注意しに来たが、可哀想に思ったのかそのまま黙認してくれた。駅員さんごめんなさい。
 7日目。かなり疲労が溜まってきたのを感じる。それに、風呂に入りたくなってきた。夏場だし、結構汗臭くなっていただろう。八女に着いて、旅館を探す。八女は、小学校の2,3年生の時に住んだ場所だ。旅館の女将さんにその話をしたら、何と娘さんが私と同級生で、私のことを知っているという。偶然とは恐ろしいものだ。
 8日目。少し疲れが取れて足取りも軽やかに国道3号線を南下する。熊本県に入り、山鹿辺りで宿泊場所を探す。国道沿いの廃屋化した病院に入る。廃屋はどこも怖いものだが、特に無人の病院というのは怖い。今思うと、事件などに巻き込まれなくて良かった、という気がする。
 9日目。一路3号線を南下し、当時実家のあった松橋町(現宇城市)まで。実家に這う這うの体でたどり着くと、突然現れた私に両親が驚いた。何も事前に連絡をしていなかったのだ。何と無茶なことをするものだ、と怒られたが、とにかく無事に帰ってきたので、無罪放免。心配かけてごめんなさい。
 色々あったが、青春時代ならではの貴重な経験をしたと思う。冒険心とチャレンジ魂、その後の会社生活でも役立ったと感じる。